なにわのみや発見マップ

大化の改新の舞台ともなった都の跡地であり、大阪城を目前にした難波宮跡公園内にある『なノにわ』のある周辺は、
現在も文化、食、芸術を日本や世界へ発信する作家や職人、芸術家が集まる街でもあります。
この地域を拠点に活躍する素晴らしい「街の人」の話から、難波宮周辺の魅力を再発見してください。
...... もっと見る

大阪が誇る、
職人の印刷技術、
紙の文化を
受け継ぎ伝える

4

アサヒ精版株式会社

代表築山 万里子さん

難波宮がある法円坂にオフィスを構える、「工場を持たない印刷会社」の三代目。1927年の創業以来、祖父から父へ受け継がれた美術印刷を開拓し続け、近隣の協力工場と共に今や国内外のクリエイターを唸らせる工芸品さながら美しいアートブックを世に送り出している。
  • Photo : わたなべよしこ
  • Text : 村田 恵里佳
  • Edit : 長瀬 緑
これまで制作した作品集の一例。錫箔の外装が異彩を放つ繪草子『龍潭譚』、ニューヨークADC賞金賞を受賞した『純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代』展覧会図録など、どれも本の域を凌駕する存在感を放つ。
上町台地は「印刷」の名産地
分業の職人たちが今もなお

上町台地が「紙の文化圏」であることは、大阪市民でさえ知らない方が多いかもしれません。大阪平野を南北に貫くこの台地は風通しが良く、水はけ良好で湿気が少ない。そんな地の利を活かしてか、戦前より界隈には「印刷」や「紙業」と名の付く工場がひしめき、今なお現役でその営みが続いています。
「大阪城に近くて神社仏閣も多い。文化的なものを育む環境があったからなのか、この辺りは印刷にまつわる小さな工場が本当にたくさんあって。それも、昔から分業のスタイルなんです。名刺を刷るような小さな機械から輪転機まで、印刷工程だけでも細かく分かれ、製版、断裁、折り、製本、箔押し加工…と多くの工場をたどって一つのものが生まれる。それぞれの工場がプロフェッショナルの集まりで、みなさん素晴らしい技術を持つ職人なんです」。
創業当時のアサヒ精版は、大阪一多くの欧文活字を所有する活版印刷の工場だったそうです。主力は、貿易関係の伝票や洋服のタグなど商業に紐づく印刷物。一方で、当時の図案家や画家と協業する美術印刷にも力を注ぎました。万里子さんの父であり二代目の敬志朗さんは、初代が育んだ美術印刷をさらなる高みへ。そのために下した決断が、「工場(印刷機)を持たない印刷会社」になることでした。近隣には優れた技術を持つ工場がある。ならば、自身はディレクションワークに徹し、彼らと共により良いもの作りをしようと考えたのです。つまり、同業者でさえ頼りにしたくなる腕利きがこの街にいたということ。そしてもちろん、今もなお。上町台地を中心とした大阪の職人と共に一つのものを作る、その姿勢は三代目の万里子さんにも引き継がれています。

幼少期から祖父や父の仕事に触れてきた万里子さん。だから、印刷は親しみのある世界。身近ではあるけれど、俯瞰した眼差しでもの作りに挑み、大阪の職人の凄みを伝える。
地域の工場をたどって生まれる
世界に類のないアートブック

万里子さんの肩書きは、プリンティングディレクター。名刺や企業カタログを手掛けることもありますが、画家や写真家などアーティストから依頼を受けて制作する作品集こそが真骨頂。クライアントの要望からイメージを膨らませ、紙選び、製版、印刷、加工、製本などあらゆる手法を考え、またそれぞれに適した工場を選ぶ。発注後は現場の立ち合いだって欠かさない。いわば、印刷の設計士であり総監督です。地域の職人たちによって、どんな印刷物ができるか。その一例が、2018年制作の『WIND MANDARA』。写真家の鈴鹿芳康による作品集で、8×10のピンホールカメラで捉えた写真がまとめられています。なかでもユニークなのは、作品性を反映した仕掛けがあること。例えば、一部のページにはピンホールを模した3mmの穴が貫かれています。
「数ページに渡って、紙の中心に穴をあけなきゃいけない。それってどうやってできる?というところからはじまり、先にページを固定しないと穴はあけられないよね?とか。最終的に天糊(てんのり)と呼ばれる加工で数ページを綴じてから穴を開け、最終糸綴じ製本と合本しました。うちの仕事は毎回、初めてやることばっかり。新しい仕事を持って工場さんへ伺うと、また難題か!?って言われます(苦笑)」。
ちなみに、このピンホールは「穴を開ける専門の工場」のお仕事。写真集ゆえ要の写真は、アナログフィルムからデータをスキャニングした後、印刷適正に製版(データ化)され、フルカラーに印刷。また黒の紙は金と銀の特色で刷られている。その後も箔押しや製本も専門の工場があり、この一冊を作るために関わった工場はなんと10社! そのほとんどが大阪にあるというから驚きます。これほど美しい本が地域の職人たちの手で生み出されているなんて、なんだか誇らしい気持ちになります。

商業出版のように数万部を発行する本はほとんどありません。「どれも小ロットで、最小1部から」。
「紙の文化」の未来を見据えて
長く大切に残してもらえる本を

創業100年を目前に控え、アサヒ精版は「A-gene press」と名付けた新しい試みを始めました。「A-gene」はアサヒ精版の遺伝子という意味。万里子さん曰く、「今まで温めてきた思いや作品を世に出すためのプロジェクト」。最初の試みとして、これまで制作したアーティストやクリエイターの作品集を印刷視点で紹介しながら販売するオンラインショップ(https://asahiseihan.stores.jp)が開設されています。
「10年、20年前に作らせてもらった本でも、まず収録した作品そのものが素晴らしく、デザインや印刷もまったく古さを感じない。むしろ、丁寧に作られた本だからこその価値が生まれていると思います。デジタルの技術が発達して、今は紙に印刷する意味が問われる。紙は限られた資源だから、私たちは大切に持ち続けてもらえるような未来に残る印刷物を作らないといけないと思っています」。
2代目の頃から「協力工場」と呼ぶ、町工場の後継者問題も他人事ではありません。
「協力してくれる工場や職人さんがいないと、うちの仕事は成立しない。海外の印刷工場の職人はデザイナー同様に地位が確立されています。でも、日本では“下請け”と捉えられて工賃が上がらない。印刷って、本当はとてもクリエイティブな仕事なんです。日本の職人さんの手仕事や感性は海外に通用するものだと思っています。だから印刷の価値を上げることもまた、私たちのミッション」。
近年、印刷設計を担当した写真家・織作峰子の作品集『光韻 -kouin-』は第57回造本装幀コンクールに入賞。日本を代表する一冊として、ドイツ・ライプツィヒの「世界で最も美しい本コンクール」出品という快挙も。万里子さんは地域の誇るべき職人たちの印刷技術を、まさに世界へ発信し続けています。

なにわのみやと私

幼少期は放課後の遊び場、
現在は地域の人々と集う町の広場に。

「生まれは森ノ宮、小学校は谷町四丁目ということもあって、難波宮は幼い頃から親しみ深い場所です。小学生の頃は、学校終わりに帰ってくる先がここ(当時は活版の印刷機があったアサヒ精版の工場)。だから、すぐそばにある難波宮は寄り道コースで、木の根本に基地を作ったりしてよく遊びました。いまは職場だけでなく住まいもこの界隈。かつての同級生が運営に関わる町会その名も“なにわの宮のみえる町会”にも加わり、最近は地域住民だけでなく近隣の事業者の方も参加、交流できるイベントを難波宮で開催しています。例えば『なにピク』(難波宮でピクニックの略)という企画は、子どもたちが参加できる催しがあったり、町内の住民が集まって他愛ないおしゃべりを楽しむ茶話会があったり。町会そのものをイベント化することで、気軽に参加してもらえたらいいなぁと。新しく住み始められた方々がこの町に興味を持ってくださるきっかけになれば、という気持ちもあって活動を続けています」。

About Machine
Translation

This site uses machine translation.
Please note that it may not always be accurate and may differ from the original Japanese text.