奔走した若き時代
大澤さんは、大阪歴史博物館の前身となる大阪市立博物館で学芸員としてのキャリアをスタート。大阪城天守閣の目の前にある近代建築(現在は商業施設「ミライザ大阪城」)を使用していた大阪市立博物館ですが、2001年に閉館し、同年に大阪歴史博物館と名前を変えて現在地で再出発を果たすことになりました。
「その頃はまだ私もかなり若手でしたから、いろいろ担当を持ってやらなければいけなくて。当時から今も変わらず働いてる職員といえば5~6人でしょうか。常設展示をどうつくっていくかの議論にも参加しましたよ。大阪城の前からどこに移転するかについてはいろいろ候補があったのですが、結局、最も立地がいいこの場所に決まったんです。立地がいいというのはアクセスというよりも、大阪の歴史を一気に見通すことができる場所だということ。大阪の古代史を物語る難波宮跡と、近世からの歴史を伝える大阪城のちょうど間に位置していて、歴史的な時間でいえば800年くらいの幅がある場所を歩いて行き来できるわけですから」。
難波宮というのは1350年ほど前にこの地にあった宮殿のこと。大阪歴史博物館の1階エントランスでは、そこで実際に見つかった遺跡をガラス床越しに見学できるスペースも設けられていて、この博物館がかつての難波宮の真上に建てられていることがよくわかります。
「遺跡のある場所にあわせて博物館ができるというのは、全国でわりとよくある話なんです。ただ、それが都心のど真ん中にあるというのがとても珍しくて。だいたいが郊外の方になりますでしょ。そして、この都心部の立地で敷地面積を確保するために、これもあまり例のない13階建てビルの博物館となりました。縦に積まれると資料の移動とかでも大変なんですよ。ただ、上階から大阪平野の広がりを一望できることになって、結果的にはとてもよかったんです。難波宮でもなノにわでもアイレベルで足を運んで見ることとセットになって、空間の広がりを感覚的に把握することができるじゃないですか」。
中世の印象はあまり強くなくて
難波宮跡と大阪城といえば、その間はおよそ800年ものタイムスパンがあります。ですが、大澤館長が専門としているのは、ちょうどそのふたつの間の時代、中世の都市研究です。
「常設展示で中世のことは9階でご紹介していますけど、9階の大部分は江戸時代が占めてるんです。中世はおまけのような扱い(笑)。まあ、大阪城ができて、天下の台所と呼ばれた江戸期の大阪の街があって、そこに注目が集まるのは仕方がないことですけど、難波宮の時代からひとっ飛びに大阪の街が栄えたわけではないですから。どうやってみなさんに中世にも興味を持っていただくか、展示室をつくる時にもいろいろと考えて、みなさんもよく知る織田信長に絡めながら大坂本願寺を登場させています。この大坂本願寺が大阪の歴史を語る上で、とても重要なんですよ」。
現在の大阪城のある場所に15世紀末から前身の寺院はあったものの、大坂本願寺は織田信長との11年におよぶ争いの末に焼失。今の大阪城には小さな碑が立つばかりです。
「今の大阪では大坂本願寺のことがすっかり忘れられていますけど、もう17世紀の中頃には、大阪に暮らす人の間でも大坂本願寺がどこにあったか、結構わからなくなっていたみたいで。それだけ後の時代、大阪城のインパクトが強かったんですね」。
ちなみに、大坂本願寺がどうして大阪の歴史にとって重要なのかといえば、そこは中世がご専門の大澤さんの解説を聞きましょう。
「大坂本願寺というのは日本全国に知れ渡っていたお寺で、戦国時代の時点で、北海道や九州にも本願寺のお寺があって、各地から門徒さんが本山である大阪まで足を運んでいたという記録もあります。当時の交通事情では誰もが大阪まで来ることはできませんけど、それでも遠くに暮らしながら本願寺の情報を知ることがすなわち、大阪を知るということに繋がっていました。これって戦国武将にはできないことなんです。武将というのは自分が治めている領地内では権力が働くけれど、その領地を広げないかぎりは自分の力が及ぶことがない。ですが、信仰というのは精神的なつながりで広がっていくので、大坂本願寺を通して大阪という街の存在が全国に知れ渡ることになったんです」。
大阪の歴史のツボがひそんでいます
何を尋ねてもたちどころに答えてくれる大澤館長。ちょっと大きな質問にはなってしまうけれど、最後に大阪の歴史の魅力についても聞いてみました。京都、奈良という日本の歴史的都市が間近にある中で、大阪の歴史にはどんな特徴があるのでしょう。
「奈良や京都に比べると、やっぱり大阪を訪れる人は現代的なものを目当てに訪れる人が多いでしょうね。ですが、その根っこには古くからの歴史があって、脈々と現代まで引き継がれてきたことのよさがあると思います。たとえば、私は毎日、谷町4丁目の駅からこちらに通ってくるのですが、当館の前で大阪城の方を見れば、お城の背景にOBP(大阪ビジネスパーク)のビル群が立ち並んでいるんです。見慣れてしまっている大阪人も多いでしょうけど、これってかなり特殊な光景ですよ。歴史的なものだけじゃなく、現代的なものだけでもなく、その両方が大阪では当たり前のように共存している。現代の生活を大事にしながらも歴史とも折り合いをつけてうまくやってきた、寛容度の広い大阪ならではだと思います」。
なにわのみやと私
そのために大事なのはやっぱり“人”でしょう。
「難波宮の魅力を発信することは当館の使命でもありますけど、今の小学校の社会の教科書には難波宮についての記述がないんです。ただ、大化の改新という大きな制度改革のことは誰もが知っていますよね。それが宣布された場所が難波宮なんですね。そして、難波宮の大きな特徴といえるのが海の近さ。今の大阪湾はずっと西の方にありますけど、古代は大阪湾がこの近くまで入り込んでいました。海を望む位置に都をつくったというのは、当時の政治が海の外へと目が向き始めたことを表しています。朝鮮半島や中国との関係ですね。そういったことをどう伝えていくか…私の個人的な考えとしては、やっぱり人なんだと思います。人が相対してどう説明していくか、そのコミュニケーションの場をいかに作るかが大事で。若い頃は私もフロアに立って展示案内をやっていましたけど、やっぱりあれはとても楽しい経験だったなと思います。なノにわと連携してまた何かできると良いですね」。