立ち上げ時から我流だった
自身の名前を冠したアパレルブランド[ippei takei]を手がける武井一平さん。そのアトリエショップは、谷町3丁目交差点から本町筋を少し東に入った小さなビルの5階にあります。取材陣がアトリエを訪ねると、室内からはなかなかの音量でヒップな音楽が聞こえてきました。室内にはタンノイなどビンテージのスピーカーが4台も。
「もともと音楽は大好きですし、ビートに乗って考えるみたいなところがあって。腰で決める、というのかな。だから、僕のブランドの立ち上げはボトムから始まってるんですよ。そもそも僕はデザイン画というのが描けなくて。今でもそうなんですけど、油性ペンで線を描いていたりしますから。こんな感じかなぁってフリーハンドで。荒削りに見えるかもしれないけど、自分にグッとくるかどうかというところを大事にしています。ミリ単位できっちりやってるデザイナーからは絶句されるでしょうけど」。
学生時代はファッション系の専門学校ながら、専攻はヘアメイク学科。授業の一環でスタイリングを学ぶなか、服作りを行う方へと関心が移り、パターンのことや縫製なども学び始めたのだそう。そして、「卒業後、思うところあって縫製工場の裁断工としてキャリアを始める」とは、公式プロフィールにも紹介されているとおり。
「友達の縫製工場で何年か働いてた時期があって、その頃からすでに友人のミュージシャンの衣装を作ってはいたんです。ちょうどその時代はインディーズブランドのブームがあって、学校を出たばかりの若い子がすぐにブランドを立ち上げるような盛り上がりもありました。そういう時代の流れも感じていたとは思うけど、ただ流れに乗るのもあまり好きじゃないので、それとは違う感じで動きたくて」。
自身のブランド立ち上げを決意した後の武井さんの動き、やり方はまったくの我流。友達やそこからの口コミで広がった人たちに、とにかく作ったものを見せて注文につなげていったのだとか。いわば直接注文制です。
「展示会とかオーダー票とか、そういうこともなんにもわかってなくて。名刺すら作ってませんでした。よくやってこれたなと思います」。
女性たちの声を聞くことの大切さ
レディースながら、スカートやワンピースなどではなく、チノスラックスやデニムといったボトムから始まった[ippei takei]。そうしたマニッシュなスタイルで始めたのは、専門学校時代から聞いていた「メンズアイテムが欲しい」という女性の友人たちの声がきっかけでした。
「僕が自分で作った服を着ていると、“それいいよね”とかよく言われてたので、じゃあ、その方向でいこうかなって。だけど、最終的な女性の気持ちがわかるわけじゃないので、無理に僕がスカートを作ってもうまくいかないんです。今でも女性からすごくいろんな意見をもらうので、そこで気づかされることは多いですね」。
強い作家性でデザインを打ち出すのではなく、これがいいという自身の感覚と女性たちの意見を大事にしながら、着実にブランドを続けてきた武井さん。一見、シンプルに見える服でも、細部にはいろんな遊び心が感じられるのも[ippei takei]の特徴です。
「裏地に色を持ってきたり、ポケットの中に”おまけ”を入れてみたり。フルハンドメイドのシャツを作ったときには、すべてに手書きの手紙をつけて販売したこともあります。着た人、買ってくれた人にしかわからないことですけど。だから、僕にとっては裏地が1番の解放区ですね」。
インスピレーションの源に
[ippei takei]の洋服は、全国のセレクトショップでも販売されていますが、それでも武井さんが大阪・谷町4丁目に拠点を置き続けている理由も気になるところ。
「どうして東京に出てこないのかって、もう何十年と聞かれ続けてきました。同世代のデザイナーにベロニク・ブランキーノという人がいるんだけど、彼女はベルギーで服作りをしていて。どうしてパリでやらないのって何度も聞かれるそうなんだけど、自分の育った街だし、ここが一番もの作りしやすいし、展示会とか必要な時だけ出ていけばいいって答えてるのを、20代の時に何かで読んだんです。本当その通りだなって思います」。
実は、この谷町界隈は戦前からメンズファッションの街としても知られ、テーラーやメーカー、資材店などが集まっています。そうした利便性に加えて、もう一つ武井さんはユニークな理由を明かしてくれました。
「僕は空堀商店街のあたりから徒歩でアトリエに通っているのですが、その道中で見かけるおじいちゃんおばあちゃんの着こなしを見るのが好きで。随分昔に仕立てたんだろうなという服を日常着で着ている様子だとか、近所で見かけるちょっとした出来事が、自分の服作りにも役立っています。海外の旅先で発想の源を得るデザイナーさんもいるでしょうけど、僕はこういう街の日常を大事にしながら、考えたり手を動かすのが性に合ってるんだと思います」。
なにわのみやと私
だからこそ、これまでにないフックアップの場になれば。
「コロナ禍から、体力づくりが必要だなって走り始めていて、自宅から大阪城までの往復、途中で難波宮を通り抜けるというコースをよく走っていますけど、難波宮のあたりって昔の印象に比べると、とても雰囲気がよくなりましたよね。あそこでストレッチをしたりしながら、昔の風景を思い出したりしています。位置としては、大阪の中でもちょうど中心にあたる場所ですから、新しくできる『なノにわ』も大阪のいろんなものやカルチャーをフックアップするような場になっていけば面白いだろうなと思います。大阪ってフックアップする文化がちょっと足りてないなと感じていて。食以外の面では、新しいものをピックアップして伝える人や場もなかなかないという、愛すべき憎らしい街なんですよ。そうした中長期的な視野を持った場所が、大阪の中心に生まれてくることを期待しています」。