なにわのみや発見マップ

大化の改新の舞台ともなった都の跡地であり、大阪城を目前にした難波宮跡公園内にある『なノにわ』のある周辺は、
現在も文化、食、芸術を日本や世界へ発信する作家や職人、芸術家が集まる街でもあります。
この地域を拠点に活躍する素晴らしい「街の人」の話から、難波宮周辺の魅力を再発見してください。
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現代の大阪に
よみがえらせた
街の納豆屋さんのカタチ

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らくだ坂納豆工房

店主伊戸川 浩一さん
敏江さん

2008年[山中酒の店]から独立して、谷町六丁目・銅座公園前に[味酒 かむなび]をオープン。日本酒仲間の飲食店店主とユニット「日本酒卍固め」を結成して、日本酒イベントなども主催。2021年[らくだ坂納豆工房]創業、2024年6月から[味酒 かむなび]は無期限休業に。
  • Photo : わたなべよしこ
  • Text : 竹内 厚
  • Edit : 長瀬 緑
プラスチックタッパーに入れて、500g単位で納豆を販売するという独自のスタイル。タッパーはお店に持ち帰ればリユースOK。
実は発酵食への興味は昔から
日本酒居酒屋から大胆な転身の理由

日本酒好きには広く知られたお店[味酒 かむなび]の店主、伊戸川さんご夫妻が納豆工房を始めたという話が聞こえてきたのが数年前のこと。ミシュランでも星を獲得した人気店の新展開が大阪で納豆!? と驚く間もなく、気づけば、[味酒 かむなび]は無期限休業して、納豆に専念するという話になっていました。
「納豆自体はもう25年ほど前、かむなびを始める前から自分たちで細々とつくってはお店で納豆料理として提供していました。だから、実は長くやってきたことなんだけど、工房を構えたのはコロナがきっかけ。納豆を売って欲しいってお客さんに言われても、そのためには製造免許が必要だったので。コロナでテイクアウト販売が広まったタイミングで奮起して、工房を構えて製造免許も取得したんです」(浩一さん)。
「発酵食品への興味は私たちの間でずっとあって。だから、かむなびを開業する時にも、この人は“お腐れ屋”という店の名前にしようとしてたくらいで。けど、当時はまだまだ発酵ブームなんてなかったから、それはみんなで必死になって止めました(笑)」(敏江さん)。
[味酒 かむなび]を開業した2008年頃は、発酵どころか日本酒さえも今のような広がりがなかった頃。浩一さんによれば、当時の居酒屋では、日本酒ではなく焼酎がずらり並んでいる光景が当たり前だったのだそう。そんな中で、飲食店として“お腐れ屋”の命名、さすがに早すぎます。
工房を構えた最初の年は製造に特化して、[味酒 かむなび]で販売。それが2年目には工房のスペースを広げて直売所も兼ねるように。そして、4年目には納豆工房に専念することに。一体どうしてなんでしょう。
「最初は全然そんなつもりはなかったんです。ただ、火水木曜日で納豆をつくって、金土日曜は飲食をやっていたらどうしても体力に限界がきてしまって。うちらもだんだん年齢が上がって、長い目でみたら昼間の仕事をしたほうがいいだろうって。日本酒の普及については僕らとしてできることはやった、もう役目を果たしたかなって気がしていて…。だけど、納豆にはまだまだ深堀りできる可能性があると感じたのも一つの理由かな」(浩一さん)。

全国各地の大豆農家の大豆から委託を受けてオリジナル納豆の製造も始めている。これも自家製レベルの小規模だから試せること。
稲ワラ納豆には
まだまだ可能性がたくさん

いざ納豆販売に向き合ってみて伊戸川さんが感じたという納豆の可能性。そもそも納豆というのは、煮た大豆に納豆菌をつけて発酵させたもの。戦後にはメーカーによる量産化、合理化が進み、一方で小規模な作り手の数は減り続けています。
「うちらは稲ワラに住む納豆菌だけで醸すという、昔の家庭ではごく当たり前だったやり方で、その規模をほんの少しだけ大きくしてやっていて。でも実は、そもそも稲ワラで発酵させてものを販売することを認めない自治体がほとんどなんです。だから、稲ワラで作っている納豆メーカーって全国にたぶん10社もなくて。大阪はね、OKなんです。もちろんこちらがワラの仕入れや管理のことや、いろんな書類を提出し申請した結果なんだけど。納豆後進県だったことが幸いしたのかもしれません」(浩一さん)。
今の食品衛生法では、納豆製造業は各都道府県への許可営業制。設備基準や製造工程への衛生指導はかなり厳しい。そんな中で、稲ワラで発酵させるという昔ながらのやり方を通したのです。稲わらに入れて両端を結んだ藁苞(わらづと)納豆は今も流通していますが、内容量が少量のお土産品がほとんど。伊戸川さんご夫妻は、これを日常食として食べてほしいという思いから、通常パックの8~10倍になる500g単位で販売することで、街なかでの小さな製造&小売店を成り立たせています。
「街の納豆屋さん、納豆売りという商売が江戸時代にはありました。それを今やるには、このカタチしかないかなって。藁苞納豆だと手間も経費もかかるので日常食の値段にならなくて」(浩一さん)。
「そういうことも含めてすごく説明の必要な商品なので、こうやって対面で話しながら販売することが必要だし、それが面白いんです。海外の方が自分でも作ってみたいって相談に来たりして、結構いろんな人に教えましたよ。お味噌や麹を自家製でつくるのとそんなに大きな違いはないので意外と簡単」(敏江さん)。

大豆は北海道・上川町のとよまどか、稲わらは大阪・能勢の有機農家から。天然の納豆菌を使うため、24~40時間と発酵時間は長め。
自ら名付けた“らくだ坂”にて
街の納豆屋さんを続けていく

パン屋さんやお豆腐屋さんと同じような、まさに街の納豆屋さん。そんな[らくだ坂納豆工房]は、谷町4丁目の裏通りと言いたくなる場所に立地していますが、お話を伺っている間も普段から通っているようなお客さんの姿が絶えることはありませんでした。
「僕らにとってはここがメインストリートのつもりですから。らくだ坂というのも、僕が勝手につけた呼び名でして。自作自演ですけどね(笑)」(浩一さん)。
十二軒町、龍造寺町、熊野街道など歴史的な通りと町名が残る界隈にあって、店の前を通る南北に伸びる通りを、らくだのコブのような坂が連続するところから「らくだ坂」と伊戸川さんが命名しました。
「表通りで店をやりたい人と、ちょっと裏通りに入ったこういう場所で店をやりたい人ではキャラクターが違っていて、最近は裏通りもお店が増えて、ユニークな人たちが集まってきた感じがしますね」(浩一さん)。

なにわのみやと私

フリスビー遊びもお手製の結婚式も。
ここでしかない自由な空気と空間が保たれた場所。

「難波宮といえば、コロナ禍から飲食店の友人たちと始めたフリスビー。毎週日曜日に集まって今も継続しています。フリスビーって人と人の接触がない上に、大会でも男女混合でチームがつくられるという珍しいスポーツで。それがちょうどよくて一時期は20人くらい集まってやっていました。今は随分減って4~5人でやる日も……だけど、今も好きな者どうしでやり続けています」(浩一さん)。
「以前、空掘商店街界隈でお店を営む、親しい友人夫妻が難波宮で結婚式をしたことがあって。それが今でも思い出深く残っています。すごく晴れた天気のいい日で、新婦はウェディングドレスを着ていて…私たちがもっともらしい口上を述べた後に、日本酒を開けて新郎にぶちまけたんです(笑)。難波宮はみんなに開かれた大事な場所ですね」(敏江さん)。

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